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2008年08月27日

 「議論において「理由もなく」意見を撤回するのはどうかと思う。個人的には。」への返信このエントリーを含むはてなブックマーク

相変わらず回答とか遅くてすいません。

しっぽのブログ: 意見を撤回すること

に対して

ロテ職人の臨床心理学的Blog: 議論において「理由もなく」意見を撤回するのはどうかと思う。個人的には。

こちらでトラックバックを頂きましたので返事をします。

総論についてまず返させていただきますと、以下の2点となります。

・これは反論ではなく、別の要件についての意見であると思われます。(ご本人も承知の可能性があります)
・理由を説明できるできないに関わらず、意見は撤回した方が良いと思います。

 

まず、ロテ職人の臨床心理学的Blog様での以下の意見が、正しくないのではと思います。

「意見を撤回する」というのは必ずしもオススメはできない」

これに私が反論するにおいて、この意見に関する書き込みを2点引用します。

で、なぜ撤回したのか、それまでの意見のどの部分が撤回の理由になったのかを答えられた場合には、私も納得します。
しかし、もし相手が意見を撤回した理由を答えられなかったとしたら。その場合私は「結局、面倒くさくなったのね」「そういうのを相手にするのは時間の無駄」くらいのことしか思えません。

これを読むにおいて、ロテ職人の臨床心理学的Blog様は基本的に、意見を撤回することを気にしているのではなく、急な意見変更に対する説明の有無とその責任を問題にしているものと思われます。
ロテ職人の臨床心理学的Blog様の主張を私が問題だと思う部分に関し、端的に並べますとこうです。

意見を撤回するのは良いことである、ただし、意見を撤回する際に理由を述べない者がおり、これは相手を不愉快にさせる。よって、「意見を撤回する」というのは必ずしもオススメはできない。

私は、「理由を述べない者」に対する追求は「理由を述べないこと」であるべきであり、「意見を撤回したこと」ではないはずと考えます。
意見の撤回と自分の意見に対する理由の説明の責任は、別の要件ですので、理由の説明責任をもってして「「意見を撤回する」というのは必ずしもオススメはできない」とは言えないと思います。

さらに、理由を述べないことを包括した場合についても、その上で、やはり必ず間違った意見は撤回されるべきと思います。
例えば議論が下手な人間が、議論途中で意見の間違いに気づき、しかしその理由を上手く説明できないと感じた時、彼は意見を撤回してはいけないのでしょうか?
理由が説明できないからといって(もしくは理由を説明する気が無かったとして)、だからといって彼は、もう既に間違っていると感じる意見を主張し続けるべきなのでしょうか?
もちろん、理由は出来る限り説明すべきであり、この重要性は議論を構成する要素として、意見を撤回することの重要性を時に上回ります。
しかし、これらの組み合わせパターンは重要性に関わらず、
「意見を間違ったと思いつつ撤回しない」「意見を撤回し、理由を述べる」「意見を撤回し、理由を述べない」の3種類となります。
これらは要素は重要性において、論理的に正しい順として
「意見を撤回し、理由を述べる」>「意見を撤回し、理由を述べない」>「意見を間違ったと思いつつ撤回しない」
こうなると思われます。
だとすれば、
「意見が間違っていると思ったならば必ず撤回しましょう、出来れば理由も述べましょう」
と、なるのではないでしょうか?
(もちろん、この「必ず」というのは今回の定義上の状況限定での「必ず」ですが)

議論は理由を説明すべきですが、時に議論が下手で、時に悔しくて、時に面倒になって、理由を述べられない方がいらっしゃいます。
ただ、そういうときであっても、自身の疑う意見を正しいのだと思い込み、自己正当化に走ってしまうことは避けられるべきだと思います。
そういう思い込みは、本当にその人の意見を悪い方へ変えてしまい、説明できる理由であっても意見を頑なに変えない癖をつけてしまうことがあります。(思うにかなり多くのネットユーザーがそうではないでしょうか)
理由を、意見を、知りたいというのは、議論を行う上で当然の欲求であり、権利であると思いますし、相手にはそれに答える義務も生じると思います。
ただ、全ての人が完全に議論を行える能力を持っているわけではないのが現状ですので、まずは意見を柔軟にすることから始まり、その上で説明責任を求めて行くというのが良いのではないでしょうか。
上記記事を拝見しますに、「誰かが」「私に」説明をしないという話が多く、実際の体験に基づく不快感から結論を導いていらっしゃらないかという心配も少しあります。

以上、基本的な返答になります。
 

その他ちょっとこまごましたところですが

んー。この点については異議ありです…というか、「議論の目的は勝ち負けを決めることではなく、お互いの意見を交換し、理解を深めることである」って提言は充分に「具体的な行為を示している」のではないかと思うです。

少し伝わっていないかもしれないので補足します。
人間は、方向性や思想、定義によっては具体的行動を起こしにくいという特徴があります。
頭では分かっていても行動に結び付かないことが多いのですね。
有名な例ですが、旅館等において「お客様への気配りを大切にしなさい」と指示をしても効果が上がらないことが多々あります。
これを例えば、お風呂のタオルは真ん中の線を切ったら補充しなさいとか、デザートは8割のお皿が空いたら出しなさい、という指示にしてあげると効果が上がります。
従業員はお客様への気配りという点を認識してはいますし、同意もしていますが、具体的行為についての提言が無いとその配慮が遅れてしまうのです。
コンビニのアルバイトに「お客様がレジに沢山並んだら対応しなさい」と指示すると上手くいかないというのもこれの亜種です。
今では多くのコンビニが「お客様がレジに3人並んだら横のレジを開けなさい」と指示しているところが多いそうです。
この考え方は自身の生活を改めるための幾つかのライフハックにも利用されています。

「議論は勝ち負けではない」というのは、概念であり、定義です。
「議論は勝ち負けを考えないで行いましょう」ならば多少は行為を示しますが、まだ具体的ではありません。
「ならば、実際に議論ではどうすればよいのか?」が、具体的な行為となります。
上記の「議論は勝ち負けではない」ではこの行為が聞き手に任されている状態になっており、これでは実際の行為に移せることができないのではないかと考えたわけです。
頭では「議論は勝ち負けではない」と思っていても、議論の仕方が今まで通りでは、外部的には何の意味も無いことになります。(こういう方はかなり多いです)
ですので、まず、数ある具体的な行為のうち、実践しやすく効果の上がるであろう「意見を撤回する」をオススメしたということになります。

こんなところで説明が足りますでしょうか。

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コメント

5281   投稿者: BlogPetの麦茶 (2008年09月16日 13:31)

バックって…なんだろう…?

5512   投稿者: isihya (2008年10月14日 21:10)

上記の文、読んでなにかと勉強になったと思います。ありがたです。

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(サーバーが見つかりませんの表示になることがありますが、
正しく投稿されてることが多いです。
落ち着いて確認してみてください。)

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